2015年5月31日日曜日

『ヒッチハイクの旅』その7

5.22(金)早朝

ラーメン屋の店長と仲良くなって肩組んで酒飲んでるところで目が覚めた。
一人用のテントにテトリスのL字のように眠っていた二人。冷たい外気をシャットアウトしてくれたテントの天井を寝ぼけマナコで見つめる。倫太郎ありがとう。わたしいきてる。

テントを片付け、コンビニに戻って歯磨きと水分補給を済ませる。
コンビニの前に座り朝日を浴びていると、倫太郎がポツリとこぼした。

「あ、俺今日、誕生日だ。」

「マジで?おめでとう。」

21歳の誕生日を野宿で迎える人も稀だろうが、野宿の朝に誕生日の報告を受ける人も稀だろう。祝福の気持ちをどう表現すればいいか分からなかったので、とりあえずYUIの「Happy birthday to you you」を歌ってあげた。

21歳の誕生日がこんなにも濃厚で劇的な日になるとは倫太郎も私も、この時点ではまだ想像もしていなかった。



昨日のインター下のバス停まで行き、「静岡・名古屋方面」を掲げて本日もヒッチハイク。30分ほど経過したところで、大きな黒いリュックを背負った色白細身の青年が目の前から歩いてくる。

先方の私を通り過ぎて後方の倫太郎になにやら話しかけている青年。
近ずいて話を聞くと、どうやら彼もヒッチハイクで旅をしているらしい。長い髪を後ろで結んでいて、姿勢が良く育ちも良さそうな顔立ち。服もシャンとしているし、清潔感もあるのでまだ旅の序盤なのだろうか。

ヒッチハイク仲間を見つけて嬉しい!みたいな表情をこちらに向けながら、
「僕も御殿場の方まで行きたくて。すみません、ここでヒッチハイクしてもいいですか?」と聞いてきた。



このとき私の頭の中にパチッと火花が散るように思考が駆け巡った。



別にヒッチハイクしてもらうのは構わないんだけど、そうするとこのバス停にはヒッチハイカーが3人いることになるよね?車から我々を見る運転手は、3人一組と思う可能性もあるよね?そのせいで車が止まる確率が低くなるのは御免こうむりたい。てかたしかにここはいい場所だけど俺らが最初にここでヒッチハイクしてる時点で、初めに止まった車は俺たちが乗るよ?3人乗れるんなら全然乗っていいけど、2人しか乗せられないと言われたら、すぐに「あ、彼は関係ないです。」ていうよ?こっちはここで1日野宿してんだよ。そうなったら君はこの場所で乗れたはずの車を一台棒に振ることになるんだよ?2人で何としても今日中に静岡もしくは愛知に行きたい。ここで我々とヒッチハイクすることは自分にとっても我々にとっても不利益が生じることだということを、少し考えればわかるんじゃないかな?



27歳の私の身体にはかなり疲労が溜まっていたので、思考もダークサイドになっていた。
さらに続く。



ちょっと待てよ。この状況、どこかで見たことがあるぞ。
既視感。そうだ、ゾンビ映画のワンシーンだ!!
ゾンビの群れから命辛々逃げてきた主人公がヒロインとともに荒廃した街を歩いていると、建物の陰からとつぜん生存者が飛び出してくる。お互いに驚くが人間だということがわかると、初対面の若者はこういう。



「人間!?よかったー生存者がいるなんて。」


そして訝しげな表情の主人公をよそに若者はこう言い放つ。


「俺ディヴィット。なぁ、仲間にいれてくれよ。」


このときの主人公の気持ちが痛いほどわかった。
俗にいう『ちょっとまてお前誰やねん状態』である。


彼の言葉を聞いて、ものの数秒で駆け巡った脳内スパークによって言葉が思いつかず、
どうしたものかと思い、倫太郎の方を見ると、あっさりとこういった。



「別にいいんじゃないすか?」




倫太郎のこういうシンプルなところが大好きだ。
この言葉を聞いた瞬間いままでの思考が吹き飛び
「そうだ、別にいいや」と思った。


彼は、『ヒッチハイクに必要なもの』というNAVERまとめがあったなら絶対に載っているであろう大きな大きなスケッチブックをリュックから取り出し、「御殿場方面」と書きはじめた。(我々は家にあったペラペラのA4のコピー用紙)


書き終えると、我々の「静岡・名古屋方面」の表記をみて、
「地名は具体的に書いた方が、車も止まりやすいみたいですよ?僕、書きましょうか?」
といった。


その言葉を聞いた倫太郎は迷うことなく、
「俺たちずっとこれでやって来たんで、大丈夫っす。」
といった。


倫ちゃんのこういうとこ、やっぱ好きだわ。



「そうっすか」といい、我々の後方5mのところでヒッチハイクを始めた青年。
それから15分ほど経って後ろを振り向くと彼の姿はなかった。
どこか別の場所へいったらしい。
まぁいっか。



しかし全然止まらない。
途方にくれていると、昨日秦野中井まで送ってくれたS夫婦の奥さんからメールが来た。高速に乗れたかどうか心配してメールしてくれた。まだ乗れていない旨を伝えると、旦那さんが出勤前にサービスエリアまで乗せてあげるからそこで待っていて、と返ってきた。なんということでしょう。こんなにありがたいことってあるんでしょうか。嬉しすぎて、すぐにヒッチハイクは止めて、座って待った。


昨日お世話になった赤い車がバス停にきた。
旦那さんに感謝を述べて、車に乗り込んだ。
東名に乗り、ついに静岡へ。



(その7でもうちょっと進む予定だったけど、
ヒッチハイカーのくだりに熱が入りすぎてあんまり進まなかった(笑)
今日はここまで!)


続く

2015年5月29日金曜日

『ヒッチハイクの旅』その6

5.21(木)15:30ごろ
大通りにでると再びヒッチハイク。
海沿いの交通量の多いところで、「静岡」と掲げて、止まってくれる車を待つ。日を遮るものが何もなく、暑さに耐えながらひたすら待つ。

すぐ横の水族館に行く家族連れ、サーファー、観光客がこちらを見ている。

30分ほど経過したとき、我々の前に白いファミリーカーが止まった。
後部座席の窓が開くと爽やかな笑顔の若奥さんが「みなとみらいまででしたら乗せられますよ?」と言ってくれた。運転席の旦那さんも爽やかな笑顔でこっちをみている。しかしあいにくみなとみらいは反対方向だったので、丁寧に感謝の気持ちを伝えて別れた。



今日は幸先がいいぞ、と思ったが、
それからどのくらい待っただろうか。
日が傾いてきた。



ヒッチハイクの本質は「待つ事」にある。

行先を掲げて流れる何台もの車を眺めていると、運転手の表情がよく見える。道の向こうから我々の存在を確認して通り過ぎるまでその間約4〜5秒。乗せてくれる人はそのわずか数秒で決断し車を止めてくれる。


我々を目にした運転手の反応は様々。
助手席の彼女が目を見開いて驚き、運転席の彼氏に「ねぇ!見て!ヒッチハイク!」と言っている。親指を立てて笑顔を返してくれる男4人組。見ると同時に爆笑する女2人組。訝しげな表情でこちらを凝視する老夫婦。なんて書いてあるのか見えなくて体を乗り出して見てくれるトラックのおっちゃん。一瞥もせずに通り過ぎていく疲れ切った顔の会社帰りのおっちゃん。

もし自分が運転手ならどうだろうか。
仮に仕事を終え家までの道のりでヒッチハイカーがいたとしたら乗せるだろうか。
このご時世、平和な日本といえど何処の馬の骨ともいえぬ初対面の人を乗せるには、
勇気と覚悟が必要だ。

私が運転手の顔を見て分かったのは、
通り過ぎていく車の4〜5割ほどはこっちを見てなんらかの反応をする。
これは憶測だが、反応した車内では、ヒッチハイカーの話題が出ているはずだ。
しかしその車内では「ヒッチハイカーがいた」という話題で終わるのがほとんどだと思う。その先の「ヒッチハイカーを乗せるか」という話題に発展する車はかなり少数だと思う。そしてさらに勇気を覚悟を持って「ヒッチハイカーを乗せてみよう」という結論に達する車はとても稀だ。ただ、稀ではあるが、ゼロではない。


その一縷の望みをかけた挑戦が2時間ほど経過した。
集中力もだいぶなくなってきて、
向かいのビーチでの野宿も現実的になってきた。
しかし今日中にもう少し進みたい。
迫り来る日没。

とそのとき、
赤い乗用車が私たちの前にスーッと止まった。
助手席の窓が開く。

「ここだと車止まりにくいからもう少し前でやったほうがいいよ。」とアドバイスしてくれたのは膝に子どもを抱えた女性だった。そして「前で止まってるからそこまで歩いてこれる?」といった。

元気よく返事をして車のところまで走った。
このときの喜びといったら計り知れない。

運転席には旦那さんが座っていた。
後部座席の私たちに話しかけてくれる。
「一度通り過ぎたんだけど、嫁が乗せようって言ったからUターンしたんだよ。」
前にも2回ほどヒッチハイクを乗せたことがあるらしい奥さんは、昨日ちょうど友人とヒッチハイクの話をしていたらしい。なんという偶然だろうか。巡り合いとは誠に不思議なものだ。

会話を聞いていてとても雰囲気のいい夫婦。膝に抱えられた女の子は少し緊張しているらしく大人しかった。西日に照らされながら、家族っていいなと思った。

車は茅ヶ崎の海岸線を走る。この辺りの風景は沖縄北部の58号線沿いによく似てる。
「あれが烏帽子岩(えぼしいわ)だよ。」
旦那さんが指差す方向にはサザンオールスターズの歌でおなじみの烏帽子岩が海の上にポツンと顔を覗かせていた。烏帽子岩まで見れるなんてラッキー!

車は山道を登っていく。
神奈川大学のキャンパスを通り過ぎると、いっきに山の風景になった。
静岡・名古屋方面なら東名高速の入り口がいいよと言われ、
秦野中井インター付近のコンビニで降ろしてくれた。
感謝を告げて別れた。

18:00ごろだったと思う。
日暮れまで時間がなかったので、インターの下に行きヒッチハイク再開。
しかし2時間近く手を挙げていたが日が暮れても止まってくれる車はいなかった。

日が暮れて急激に寒くなってきた。
首をジャンパーに引っ込ませ、なるべく体を動かした。
それでも寒かった。ジャンパー以外にろくな防寒着を持ってきてなかったことを心から後悔した。コンビニに戻って、カップラーメンを買って、寒空の下震えながら食べた。なんだかよくわからないけど暖かくてとても美味しかった。あさま山荘事件の警官の気持ちが少しだけ分かった気がした。

二人でYUIの曲を聴いた。今日はこの付近で野宿することにした。
倫太郎が田んぼの上に並んだコンテナを指差して「あそこどうっすかね?」といった。
その場所に行ってみると、コンテナの間に2mほどの隙間があった。
ここなら少しは風も凌げるし、コンテナが目隠しになって人目も気にしなくていい。

倫太郎は早速ソロテントを張り始めた。私は疲れ切っていてその場に倒れこむように寝ていた。しかしあまりの寒さに寝付くことができず、持っていたビニール袋を体に巻いてみたが、効果はなかった。なぜホームレスが段ボールで家を作るのか、ビニールシートで空間を確保するのか身を持って分かった。寒さだ。寒さが怖い。そんなことを考えながら震えていると倫太郎がみかねて「テント入ります?」と言ってくれた。「ごめん、お願いします。」といって、一人用のテントに潜り込んで2人で寝た。

この夜、アツアツのトンコツラーメンを腹一杯食べる夢を見た。


2015年5月26日火曜日

『ヒッチハイクの旅』その5

江ノ島は倫太郎も初めてだという。

倫太郎は鎌倉でしらす丼を食べたいといっていたので、江ノ島で食べることにした。

駅から海の方へ歩く。
風が強く吹いている。

江ノ島に入るための一本道は
カップルや親子連れ、海外の観光客で長い列になっている。

平日でこの多さなら、
休日やオンシーズンは身動きとれないくらい人がいるんじゃないか?

江ノ島につくとすぐ坂道になっていて、両脇には土産屋、がズラリと並ぶ。

急勾配の坂を登ると神社が見えてきた。さらに階段がある。

どうやら江ノ島は我々が思っている以上に広いようだ。
階段に座って休んでいると、
目の前にかっこいい極太フォントで書かれた「エスカー」の文字が飛び込んできた。なんだろうと思い看板をよく見ると、頂上まで通じているエスカレーターのことらしい。歩くと20分、エスカーだと5分らしい。景色も見れるし、歩いて登った方がいいかなと思ったけど、せっかくだしエスカーに乗ってみることにした。

倫太郎がYUIの歌に「es.car」という同名の曲があるといい、歌詞を口ずさみだした。



鎌倉あたり歩くと思ってたから

知らない場所に浮かれているの

展望灯台に昇ったら

そっとオマジナイをかけるわ

ごめん

恋してる

(YUI『es.car』より)

エスカーは本当にただのエスカレーターだった。登りながらPVの踊りを再現する倫太郎。


頂上に着いた。
晴れていて眺めも最高だった。

長い階段を上から眺めて、エスカーを使ってよかったと心から思った。

しらす丼を目指して山沿いを歩くと、荒々しい山肌が見えてきた。
絶壁を眺めながら少し歩くと、
目的地の「江ノ島屋」が見えてきた。

14:30ごろだったにも関わらず客さんはたくさんいた。
店の前で40分ほど待った。
通された席は、海を一望できる最高のロケーションのテラス席。 
ついに念願のしらす丼にありつける。
 

FaceTimeでマリオにしらす丼を自慢する倫太郎。


苦労して、たくさん歩いてたどり着いた生しらす丼は格別に美味かった。一瞬でなくなった。


1,300円の至福に浸りながら山を降りた。
たこせんべいも食べたいといっていたけど、しらす丼で満たされていたので食べなかった。
行きはあんなに辛かった坂も帰りはあっという間に降りた。

楽しい時間もつかの間、江ノ島に感謝と別れを告げ、島を後にした。

2015年5月24日日曜日

『ヒッチハイクの旅』その4

5.21(木)
退店時刻10分前に起きてしまい、慌てて店を出た。体調はかなり回復していた。

晴れていて心地よい。
空気も澄んでいる。
どうやら昨晩は雷雨だったらしい。

すき家で納豆定食300円をたべながら、
この後どうするか相談。

横浜駅周辺は都会すぎてヒッチハイクできないし、鎌倉駅まで340円なので電車で行くことにした。

電車に揺られながらボーっと外を眺める。気持ちいい。電車っていいなぁ。
窓の外の景色が、どんどん緑色になっていく。古い家屋が連なる街並みの間を通り抜け、鎌倉駅に着いた。

まったりとした空気が流れている。

駅に着くと倫太郎が、
「ちかくにYUIが路上ライブしてたところあるんですよ!」というので、行ってみることにした。

倫太郎はYUIが大好きだ。
私がYUIの歌の歌詞をうる覚えで適当に歌おうものなら、「え、それは◯◯ですよ。」とすぐに指摘される。

小さな時計台の下に広場があって、そこが映画『タイヨウのうた』の劇中でYUIが路上ライブしていたところだった。

駅から山の方へ歩いた。
細い道の両脇にお土産や飲食が並ぶ。
和風な街並みは湯布院の通りに雰囲気が似ていた。
いたるところに修学旅行生がたくさんいた。

美味しそうなソフトクリームやオシャレな珈琲屋にそそられたけど、我慢して先に進んだ。
山の方に進むと、鶴岡八幡宮が見えてきた。
木々の美しい緑に包まれた神社は、背筋が少し伸びるような荘厳さがある。
水で身体を清め、長い階段を登る。
階段の途中には切断された巨木が佇む。断面で相撲がとれそうなくらい大きい。果たして樹齢何年なのだろうか。想像もつかない。

大荷物の我々にとってかなりきつい階段。
私の傍らを登る観光客のおじいさんおばあさんも辛そうだ。

ひいひい言いながら本殿に到着。
少しばかりの賽銭を投げ入れ、
旅の安全を祈る。


階段を下りると、
休憩所なるものがあった。
そこで一休み。

来た道を戻り駅の反対側の海の方角へ歩き出した。

海が近づくにつれて、
道が開けていく。
由比ヶ浜に突き当たった。


いつも見ている沖縄の真っ青な海と白い砂浜とは違って、
淡青色の海に浅黒い砂浜は新鮮だった。
たくさんのサーファーと水着のギャルがいて「テラスハウス」で見たことあるような光景が目の前に広がっていた。

海岸線を西に歩く。
サーフボードを積んだ自転車が行き来する。倫太郎が「江ノ電がめっちゃいいんで乗りましょう」と言っていたので、せっかくなので江ノ島まで行ってみることにした。

住宅街の中を進み、
由比ヶ浜駅から江ノ電に乗った。


民家スレスレを走る電車にスリルを感じた。稲村ヶ崎駅を過ぎると、突然景色がパッと開けて、車窓に海が広がった。

車内から歓声が湧く。
綺麗だ。窓の向こうの爽やかな海岸線に心奪われた。
その瞬間、少し時間が止まった気がした。

江ノ島駅に着いた。
つづく。

『ヒッチハイクの旅』その3

4.20(水)
日暮れが迫る中、
多摩川の橋を渡り、南へ歩く。

見通しのいいところで再びヒッチハイク。1時間やっても、車は止まらない。
日が暮れてしまった。

今日はこの辺で野宿しようかどうか話し合った。

もう少し歩くと駅があるらしいので、駅まで行ってみることにした。

新丸子駅に着いた。
お腹がペコペコだったので、
立ち食いうどん屋で、うどんを食べた。

関東のうどんの汁は真っ黒で最初驚いたが、美味しかった。

ベンチに座って話し合った。

これから多摩川に戻って野宿するか、
ここから電車で200円くらいなので横浜駅まで今日中に行くか。

話し合った結果、横浜駅に向かうことにした。


横浜駅は巨大で、渋谷や新宿のような人の多さだった。

駅からすぐのところに川が流れていて、その付近でひと休み。

なんか超都会だね、って話して、
IWGPごっこをした。
倫太郎にキングのモノマネをさせて遊んだ。



横浜駅前で斉藤和義の「唄うたいのバラッド」を弾き語りしている人や、カラオケでHYの「366日」を熱唱している人がいたので、私たちもおもむろにギターを取り出してかき鳴らした。

自分たちの今おもっていることを叫んだ。
1時間くらいしてスッキリしたので、
繁華街に向かった。

駅に向かう人の波を逆走し、
閉店前のダイエーに入り、
栄養価の高い食べ物を探す。

キウイフルーツとベビーチーズを購入。カッターでキウイフルーツを真っ二つに切ってかぶりついた。

私はこの日とても体調が優れなかったので、倫太郎に頼んで、横浜駅のマンキツに泊まりたい胸を伝えた。

駅から5分ほど歩いたところにあるマンキツに入った。

福満しげゆき氏の『ゾンビ取りガール』を読みながらいつのまにか眠っていた。

2015年5月23日土曜日

『ヒッチハイクの旅』その2

5.20(水)
4:30ごろ寒さで目が覚めた。

これはいけないと思い、
起きてすぐ走り出した。

早朝ランニングマンに紛れて、
身体を温めるために、
ひたすら公園をぐるぐる走った。

ザ・ブルーハーツの「ラブレター」「TOO MACH PAIN」が胸に突き刺さる。



本当ならば今頃

僕のベッドには

あなたがあなたが

あなたがいてほしい


薄暗い公園で切なくなって
身体が温まったのでまた寝た。
8:30に起床して日向ぼっこ。

倫太郎が「鎌倉はすごくいいところですよ」といっていたので、鎌倉に行くことにした。

井の頭公園に感謝と別れを告げる。
駅前のマックでケータイ充電完了。

井の頭公園を越え南に歩くと、
三鷹の住宅街に入る。

さらに進むと、大通りに行き着いた。
通り沿いを歩いて、
少し開けた橋の上でヒッチハイク。

40分ほど手を挙げるが捕まらないので、地図を再確認し場所を変更。

先ほどよりは小道の、
鎌倉方面の車が通りそうな道で、
木陰で日光を忍びながら、
再びヒッチハイク。
しかし30分待っても捕まらず。

途方に暮れ始めたところに、
後ろから声がした。

「どのくらい待ってんの?」
振り向くと、ワイシャツを着たおじさんが立っていた。

「1時間くらいです。」というと、
「都内までだったら送るよ。もちろんお金はいらないよ。」

おじさんが指差す先には個人タクシーが止まっていた。

これから都内で出勤なので、回送で向かう途中はお客さん乗せないからと言われたので、お礼をいって飛び乗った。

個人タクシーは今まで数回乗ったことがあるが、その全てが乗り心地が良かった。今回も滑るように走る。車が好きな人がこだわって選んでいるんだなぁと感じた。

おじさんは50代で、ハタチの娘と18の息子がいるらしく、18の息子が最近思春期でゲームばっかりして勉強しないことを悩んでいた。

おじさんはメガネで少し小太りの、とても優しいオーラが滲み出ている方で、息子には厳しく叱れないと言っていた。
おじさんの悩みを真剣に聞いて、
「息子さんに理不尽を与えてください」「息子さんにバイトをさせてください」「息子さんを勤務中のお父さんの助手席に乗せてください」など、
27年の人生をフル活用して自分なりに精一杯アドバイスした。

おじ「2人はいくつなの?」

りん「僕は20です」

むね「私はもう27で・・・だいぶ遠回りしてます。笑」

おじ「人生に遠回りなんて、ないんだよ。」

このさらりと放たれた言葉が
私の胸にサクッと突き刺さった。

そうだ、私よりも2倍近く生きてるおじさんがそう言ってるんだ。
27歳の若造が「遠回り」なんていってる場合じゃない。

おじさんの言葉にハッと気付かされた。

その後、「昔からの金持ち」と「にわか成金」の違いを教えてくれた。

話が盛り上がったところで都内に到着。
鎌倉行きの車がよく通る中原街道で降ろしてくれた。
おじさんに別れとお礼を告げ、
また歩き出した。

途中お腹が空いたので、
オリンピックという名のスーパーで、
おにぎりを買って口に放り込んだ。

中原街道を南に歩く。
直線の見通しのいいところで、
「鎌倉」を掲げる。

しばらくすると、
子供をカゴにいれたチャリンコに乗ったお母さんがこっちに来た。

お母さん「どのくらい待ってるの?」

りんたろ「ここでは30分くらいですかね」

お母さん「そうなんだぁ。送ってあげられないけど、頑張ってね!」

そういうと倫太郎に100円玉を3枚渡し、風の如く去っていった。

走り去るチャリンコの背中を見つめながら「ありがとうございます!」と叫んだ。

そのお金ですぐにアイスを買って食べた。炎天下でのアイスはとても美味しかった。

そこでは結局捕まらなかったので、また南に歩いた。

大きな川が見えてきた。
多摩川だ。

多摩川の橋の下で休憩。

倫太郎がいう。
「なんか週末、愛知県の豊田市ってところで、橋の下音楽祭っていうのがやってるらしいっすよ。」

FBのタイムラインで流れてきたらしい。

「沖縄からマルチーズロック出るらしいですよ。あ、タテタカコ見たいなぁ。タイミング合えば行けたらいいっすねぇ。

私は、
「確かに。そのタイミングで愛知県入りできれば行けるかもなぁ。行きたいなぁ!」
と言った。

しばらく身体を横にして休んだ。
陽が傾きかけていた。

鎌倉で夕陽を見たいっすね、
と倫太郎がいった。

陽が落ちる前になんとか乗せてもらおう。
再び南へ歩き出した。

つづく



『ヒッチハイクの旅』その1

5.19(火)
代官山のワンマンからの
渋谷で朝まで打ち上げした後、
4時間の仮眠をとって吉祥寺へ。

倫太郎と合流したところから、
この旅は始まった。

ことの発端は数日前。
倫太郎に電話口でこう言った。
「旅がしたい。」
すると彼はいつも通り飄々と、
「いいっすよ!ヒッチハイクしましょ!」
と返してくれた。

ワンマンを終えた後、
全てをもう一度見つめ直すために、
旅に出たかった。

この決断はかなり苦しいものだった。
肉体的にも精神的にも磨耗していた私は、本当ならワンマンの次の日くらい
10時間くらいダラダラ寝ていたかった。

でもバイト先の店長が教えてくれた。

「大事な日の翌日は、大抵みんな休むけど、そういうときこそ頑張れ。」

この言葉が頭にあったから、
なんとか思い身体を起こして、
吉祥寺へ向かった。

吉祥寺で倫太郎がボートに興味を示していたので、一緒に手漕ぎボートに乗った。

ギターを弾きながら、歌いながら、
カップルだらけの池を一周した。


池の上のセッション、
なんて気持ちいいのだろう。
本当にポカポカ陽気で眠くなった。
一時間あっというまだった。

テンションが上がって、
ギターの弦が切れてしまったので、
楽器屋に行って弦を購入した。

商店街でサクソフォニストが演奏していた。
とてもカッコよかったのでマリオに教えてあげた。

富士そばで晩御飯を食べて、
再び井の頭公園に戻った。

公園内の屋根のあるベンチで野宿した。
夜になると急激に気温が下がった。

震えながらも疲れの方が勝っていたので、自然と眠りについていた。



2015年5月19日火曜日

『始まりの合図』


代官山ユニットのライブが終わった。
我如古ファンクラブの、
『Road to Major!!!』10本勝負が
終わった。

渋谷でのうちあげを終え、
いま始発の電車の中で、
これを書いている。

様々な思いはあるけど、

みなさんに感謝の言葉以外、
思いつかない。

ありがとうございます。


これは終わりではなくて、
始まりです。


だからいまこの瞬間から
前を向いて歩き始めます。


これからもよろしくお願いします。

2015年5月17日日曜日

『イッツァラフ』

辛いことって、畳み掛けてくるよね。
ギリギリになって、
あーもうやっぱ無理だーくそーとか
思ったりするけど、
でもさ、
来るんだよね、
その時は「必ず」

だからさ、
やるしかないんだよ。
走り続けるしかないんだ。
そうしてるうちに見えてくる。

マラソンやったことある人ならわかるよねこの感覚。
いつまで続くんだよこの景色・・・
って思いながらも
足を前に一歩づつ交互に出すことを
やめなかったら、
絶対に別の景色がみえるときが来るんだ。

だから、
駆け抜ける!

明日、代官山ユニットも
全力でやり抜く!


さっきあだちんから激励の言葉が届いた。その文末にはこう書かれていた。

「イッツァラフ」

これは高校時代やっていたバンドの、
ステージに上がる前に必ず言っていた掛け声だ。

この言葉を聴いた瞬間、
ストンと落ち着いた。

代官山ユニット〜
待ってろよ〜!


2015年5月16日土曜日

『乱文失礼します』

数日更新が止まっていました。
この一週間気持ちだけが焦って、
もやもやしていた。

5.18の代官山ユニットのライブ。
15からバンドして、
18で沖縄に来て10年が経とうとしている。
考えはじめたらきりがない。
4年間のバンドの集大成。

少しでも気持ちを落ち着かせようと、
家の大掃除、断捨離、料理をした。

キッチンを3時間かけてきれいにした。
風呂とトイレもカビキラーでピカピカにした。

心のもやもやが少しなくなった。

服や雑貨、消耗品、使わないものをどんどん捨てていった。
広くなった部屋を見て、
もやもやがまた少しなくなった。

パートさんからいただいた野菜を
料理して食べた。

料理する時間、片付ける時間、
それら全部含めて、
「食事」なのだと改めて実感する。

食べ終わった後、
私の心からもやもやは消えていた。

不安はある、
どうなるかわからない、
いつもそうだ。

でもみんなそうだ。
みんないつどうなるかわからない。
だから、
今を一生懸命生きる。
悩むのは少しにして、
歩く、触る、話す、行動する。

子どもって本当になんでも
口に入れるんだ。

あれは、
食べられるものかどうかを一番端的に調べられる方法を本能的に知っているからだ。

なんでもいい。
どうなるかわかんないのは、
みんな一緒なんだから、
だったら飛び込んだ方がいい。

って自分にいい聞かせる。

これから東京へ
インディーズ最後のライブに
行ってくる。

あー
なんだろうな

言葉にできない感情ってのが
この世にはまだまだたくさんある。

やるしかないよ、
だからみんなも絶対、
できるよ。

いってきます。

2015年5月12日火曜日

『ピーピースルーK』使ってみた

松脳#250『ピーピースルーK』使ってみた
排水溝が詰まって、台所の水が流れなくなりました。
これでは料理できない。
パイプユニッシュ的なものを流し込んで
つまりを取ろうとしてもかなり頑固に詰まっているらしく、
びくともしない。
業者呼ぶのもお金かかるしなぁと途方にくれ、
グーグル先生に聞いて回っていたら、
ひとつの薬剤にたどり着いた。

その名も
パイプ洗浄剤 ピーピースルーK』!!

なんだその下剤みたいな名前は(笑)
ちなみに『ピーピースルー』が通常盤で、
『ピーピースルーK』はより強力なものらしいので、
せっかくなので後者を購入した。

数日後にクロネコのお兄さんが届けてくださった。

この薬剤、成分を見てみると、
水酸化カリウム95%。

(水酸化カリウム・・・
カリウムは授業でならったぞ、
たしか水と反応しやすくて危険だったはず。
「K」とはカリウムの「K」なのかな?)

「医療用外劇物」と書かれたパッケージは
理科室に置いてありそうな外見。

蓋をあけて中を確認。
なんだろう。氷砂糖みたいだ。


さっそく説明書を読みながら使ってみる。
つまりの原因になっている排水溝の周りに
ピーピースルーKを置き、
水を周りからかける。


じゅ〜〜〜〜〜
じゅわ〜〜〜〜〜〜

おお!水と反応して発熱している!
立ち上った煙は、獣が焼けたときのような匂いがした。
(タンパク質が溶けているのだろうか)

続いて流しの口に直接流し込む。
熱でジャバラの柔らかい部分が溶ける恐れがあるので、
一度ポリバケツなどで溶かして冷ましてから流す。

そのまま放置し数時間後、水を流して洗浄。
するとどうでしょう。
全く流れなかった排水溝が、
ゴクゴクと音を立てながら気持ちよさそうに、
水を飲み込んでいくではありませんか!
便秘4日目にやっと出たときのような爽快感を感じました!


すごいぞ『ピーピースルーK』!
これからもよろしく!
ちなみに私はここから買いました↓
http://suumomo.rs.shopserve.jp/SHOP/A0001.html

【使った感想】
本当に危険な薬剤なので誤飲を防ぐために
絶対に子どもの手の届かない場所へ保管すること。
とても水と反応しやすく、かなり高温になります。
細心の注意を払って扱ってください!
手袋とマスクは必ず着用し、換気をしてください。

2015年5月11日月曜日

『cafe eight boll』

スープカフェが最近できたと黒澤さんから聞き、
じゃぁバンド会議をそこでしようという運びになった。


 cafe eight boll
G-shelterの三軒隣り、牧志駅からも安里駅からも徒歩5分圏内。
(ホテルオーシャンの左くらい)
 http://www.daioki.co.jp/cp/view.php?ID=2015032615512863&PHNO=1&sid=uujqmes4aa4n5319j04m8oafvba6nvin#shop



営業時間は11:30〜22:00
広々としたおシャレな店内は、天井も高くて居心地抜群。
フリーWiFi完備。
驚いたのはメニューがとってもリーズナブル!
ソフトドリンク200円〜
ソフトドリンクバー400円(税別)
食べるスープ400円(税別)

国際通り外れにあって人通りの少ないところで
それが逆に落ち着く空間になっている。

お酒もリーズナブルだったから、
昼間や夕方から気軽に1杯飲むのには最高の場所ではないだろうか。

みんなぜひ行ってみてください!
隣で黒澤さんが食べてたスープも美味しそうでしたよ!!
私も今度食べてみようっと。



2015年5月10日日曜日

『木々の剪定』


大家さんちのお手伝い。
今回は家庭訪問に向けて庭の手入れだった。
木々の剪定をお願いされた。
ボサボサに伸びた枝葉を丸い形に切っていく。
一度切ってしまうと二度とやり直しはきかない。
仮想世界だと「Control+z」で何度でもやり直せるのに、
現実世界はそうはいかない。


写真左の木がビフォー、写真右の木がアフターである。
自分でいうのもあれだが初めてにしてはなかなかうまくいったと思う。
大家さんにも「じょーとー!どこかでやったことあるの?」と褒められた。

炎天下の殺人的紫外線の中、
夢中になって4本の剪定をした。
一度ハマると、なんでも楽しい。
時間を忘れて夢中になって黙々と切りまくった。

全て終わる頃には日が傾いていた。
庭と私の心に清々しさが生まれていた。

帰ってシャワーを浴びた。
・・・日焼けが痛い!!笑

2015年5月9日土曜日

『ハンディ松野の帰省2015』その5

松脳#249『ハンディ松野の帰省2015』その5


2015.2.20
朝から3種類のスープをつくったと張り切る母。

昼過ぎ、家から5分ほどの「極楽温泉」へ。
大きな浴槽にシンプルな内装。
昔ながらの荘厳な建物。
こういう安くて気軽にいける温泉がある大分が誇らしい。

夜は同級生のひさかさんの紹介で、
ジャイコナイトのアキヲさんとお会いした。


ジャイコナイトは大分のDJイベントだよ!
詳細はこちら↓
https://twitter.com/giko_night_oita


大分には3日しかいなかったけど充実していた。

犬の容態はあいかわらず良くなくて、心配だった。
翌日ヤーマンの結婚式のため、熊本に向かった。

2015年5月8日金曜日

『ハンディ松野の帰省2015』その4

松脳#248『ハンディ松野の帰省2015』その4


見ての通り、くっっっっっそ田舎なんですよ我が家。
裏山から生える竹の生命力は凄まじく、
放っておくと家に覆いかぶさってしまう。
だから定期的に伐採してあげなければいけない。

切った竹は枯れてから運ぶんだけど、それでも重い。

玄米で作った餅を3時のおやつで食べた。
とても美味しかった。
働いた後のご飯は格別に上手い。

2015年5月7日木曜日

『ハンディ松野の帰省2015』その3

松脳#247『ハンディ松野の帰省2015』その3 

夕飯のあともおかんは止まらない。
サザンオールターズの新譜の話。
イチローとその嫁さんの話。
私の将来の嫁さんの話。
林先生に借金があった話。
ゴールデンボンバーの話。

その他にHYの話などもしていたが割愛。

この動画を編集していてみて母のトークを客観的にみることができた。
普段、BGMのように聞き流しているエンドレストークには
ひとつの共通点があることに気付いた。

それは「お金」について話しているという点。

あの人は、成功してこんなに稼いでる。
あの夫婦は嫁さんも稼いでいる。
あの人は借金があったけど、今は稼いでいる。
あの人は顔はおかしいけど、声がとてもきれい。
そしてとても稼いでる。
などなど。

TVみちょっても、
「この人よくTVでちょんなー。稼いじょんなー。」
とか
「この人最近全然みないけど、なにで食いよんのやろな。」
とか。

そうやって考えると、
何気ない会話でも、
相手がいま何を必要としているのかを知ることができる。

あと、おかんがずっと話し続けるのは、
沈黙が嫌なんだと思う。

2015年5月6日水曜日

『ハンディ松野の帰省2015』その2

おかんは66歳。
39歳のときに生んだから、
同級生の親の中ではかなり高齢だ。

おかんはよくしゃべる。
本当によくしゃべる。
こちらが相づちを打たなくても
ずっとしゃべってる。
あと気持ちが若いからか、
年頃の女の子みたいな物言いをする。

久しぶりに帰ったから
嬉しいんだろうなぁ。
聞いてあげることが親孝行だと思い、
なるべく耳を傾けることを心がけている。

おかんのつくる料理は美味い。
肉じゃが、オムライス、粕汁、牛すじカレー、
お好み焼き、白ブタ、すき焼き、味噌汁、
などなど。

おとんが兵庫のひとで、
味にはすこぶるうるさかった。
そのせいで鍛えられたのかもしれない。

会うたびに少し小さくなったような気がする母。
母の料理が食べれる幸せをかみしめた。

私がこんなに自由でいられるのも、
おかんが健康でいてくれているからだ。
感謝。そしてこれからの健康も祈って。

2015年5月5日火曜日

『ハンディ松野の帰省2015』

松脳#245『ハンディ松野の帰省2015』


2015.2.18
東京から戻って息つく暇もなく、
ヤーマンの結婚式のため帰省。
約1年ぶり、久しぶりの大分。だとおもう。

十数年飼っている犬の容態が悪かった。
お腹にできた悪性腫瘍が爆ぜてしまい、
痛々しく感染の心配もあり危険な状態だった。

家は相変わらず、くっそ寒かった。
おかんは相変わらず、壊れたレコードのように永遠にしゃべる。

久しぶりに帰った感想、
「実家があることは本当に素晴らしい」
そこに行くだけで気持ちが落ち着き、
リフレッシュできる場所があるなんて
なんて幸せなことだろう。

家を一人で守り続けている母に感謝した。
親父の仏壇に手を合わせた。
さ、限られた時間だけど、家のことしよう。

2015年5月4日月曜日

『宿泊者たち』

松脳#244『宿泊者たち』


私の家には色んな人が泊まりに来る。
沖縄に戻ってすぐふじさわが、3日後たかやまが泊まりに来た。
酒の一杯でも飲みながら近況報告を聞くと、
私も頑張ろう!と勇気をもらう。

宿泊者①ふじさわ
大学からの友人。映画、格闘技、バイク、旅が好き。
現在映像関係の仕事のかたわらyoutubeにツーリング動画をアップロード中。

宿泊者②たかやま
コテコテの大阪人。なんかよくわからないけどめっちゃ面白い!
琉大相撲部元主将。現在プロ就活生。

2015年5月3日日曜日

『スタンド・バイ・ミー』への思い

『スタンド・バイ・ミー(1987)』という映画には
とても思い入れがある。

兄はこの映画がとても好きだった。
家では洋画劇場をダビングしたVHSがずっと流れていた。

ヘビーローテーションで流れる主題歌を自然と覚えるようになり、
まだ幼少期にもかかわらず、
「ンヌナィッ!」と出だしを歌えるようになっていた(らしい)

原作はスティーブンキング。
若きリヴァーフェニックスが出演。
片田舎の少年たちが屍体探しの旅に出る話。

ちなみに若き日のジャックバウアーも出演している(笑)

中学生のときも高校生のときも見返した。
名作は何度みても素晴らしい。

主題歌「スタンド・バイ・ミー」を歌うベン・E・キングが逝ってしまった。
ご冥福をお祈りします。

この曲の誕生秘話が書かれていたので、
リンクを貼っておきます。
http://www.asahi.com/articles/ASH517V3BH51UEHF02D.html


2015年5月2日土曜日

『あっというま』

バイトしまくって何連勤なのか数えてないけど、今日は久しぶりの休みなの。

洗濯して、掃除して、料理して、
未来のために準備してたら、
1日なんてあっというま。

子供の頃みたいに無限に時間があるような感覚はないけど、
有限の中で楽しむという能力を身につけた大人は、それはそれで充実している。

昨日の帰り道、
巨大な鱗雲が私の頭上に覆いかぶさった。

見渡す限り、ずっと向こうまで、
永遠に続いている。

でもきっと、海の向こうは違う空が広がっている。
数時間後は違う空が広がっている。

だからシャッターを切った。

二度と見ることのできないこの瞬間を、自分のポケットに押し込んだ。