2014年12月31日水曜日

『激動の晦日』

こんなにも長い晦日は26年間生きていて初めてだった。
朝、兄貴の電話から始まった。
「おかんが入院した」とクールな声で言われた。
兄貴はいつでもクールだ。
どんなに驚くようなことを告げるときでも
とても冷静な声色をしているので、
ときに私を困惑させる。

聞くと幸いにも大病ではないらしいが、
それでも心配だ。

午後からバイトへ。
いつもどおりお客さんは多い。
心なしかみな気ぜわしいようすだ。

夜はバンド練だ。
久しぶりに楽器を演奏して、
曲を合わせてみた。
とても気持ち良かった。
久しぶりに合わせるのに、
息のあった演奏ができた。

ドラムもそんなに練習していないのに
あまり衰えていない感じがした。

なぜだろう。
わかった!
毎日筋トレしているからだ。
ドラムの椅子に座って叩いているとき、
妙に安定感を感じると思ったら、
腹筋と背筋を鍛えたことによる
体幹の発達だと確信した。

体の重心をしっかりとれるので、
ドラミングが安定して、
余計な力が入らない。

スティックを落とす動作も
流れるようにできるので
素早いフィルインも
一発一発確実に打つことができる。

数ヶ月地道に筋トレしていた成果が
こんなところに現れるとは。
努力は実ると実感した瞬間だった。

他にも色々あったんだけど
割愛して

明日のバイトに備えて寝ます。
おやすみ野菜。

2014年12月30日火曜日

『健康。手を合わさずにはいられない。』

もし自分にコンプレックスがあって
それによって毎日気分が落ち込んでいるのなら、
少し考え方を変えればいい。

毎日が忙しくて
精神的に追い詰められていると、
根本的なことを忘れてしまいがちだ。

まず第一に
健康であることがどれだけ素晴らしいことか。
(今回は肉体的な健康を示すことにする)


これが実感できるのが「朝」だ。


私は1年ほど前、気管支炎で死にかけた。
当時ほとんど睡眠もとらず
朝から晩まで働いて働いて、
飯もろくに食わず、
タバコもガンガン吸っていた。

そのような生活を続けると
肺に異変が現れた。
咳をすると、胸の奥がズキンと痛むのだ。
痛みは日に日に増していき、
咳き込む頻度も増えていった。

ある晩、寝ていると、
咳が止まらなくなって、
肺の痛みも悪化していた。

息をするのも苦しい。
「私はこのまま死ぬんじゃないか・・・」
そのような考えが頭を横切った。

喉は腫れ上がり、
痛みから発熱もしていた。

あぁこんなときに
隣に誰かいたら
助けてくれるんだろうな、
とも思った。

しかしそんな悠長なことも
考えられないくらい苦しくなってきた。

連日の疲れもあり、
半分意識を失うような形で再び眠りに落ちた。




そして朝。
目が覚めたとき私は、
生きていることを実感した。
喉と胸の痛みはあるものの、
朝日を拝めている現実に
心から感謝した。

その日を境に
改めて健康について考えるようになった。

健康であることの大切さ。
お金では買えないかけがえのないもの。
肉体に影響される思考。

私がこうしてバイトして音楽して
普通に生活していられるのも
健康であるからこそできることである。

そう考えると改めて
このDNAを授けてくださったご先祖に
手を合わさずにはいられない。


2014年12月29日月曜日

『気持ちいい朝と異世界』

先日いつものように
バイトへ行く道をバイクで飛ばしていた。
カラッと晴れた冬空の朝日を浴びながら、
冷たい風を切る。

そのとき急に
味わったこともない奇妙な感覚に襲われた。
自分の身体が透明になって
宙に浮いているような感覚。
朝日が身体を貫通して、
光の粒子が全身の細胞と結合していくようだった。

運転中だったが思わず、
自分の左手を何度も握り絞めては
その感覚を確かめた。

今自分がここに存在することすらも
一瞬、あやふやになりかけた。

別に睡眠不足でもなければ、
精神的に追い詰められているわけでもない。
このような感覚に見舞われたのは初めてだった。

しかしとても心地よかった。
肉体という概念から離れ、
気体にでもなったかのような自由な感覚。

あまりにも気持ちいい朝が
私の心を現実とは違うところに
誘(いざな)ってくれたのかもしれない。


2014年12月28日日曜日

『年齢なんて関係ない』

ではいつ始めればいいのか。

「もう自分の歳では遅過ぎるのでは」
「自分より若い人たちがたくさんいるから」

なんて思う必要はいっさいありません。
あなたが思い立って歩き出したその瞬間からスタートです。

ケンタッキーフライドチキンの
カーネルサンダースおじさんを見てください。

若い頃は40種もの職を経験し、
30代後半にガソリンスタンドを経営するが倒産。
レストラン経営を始めるのが40代。
さらにそこからフランチャイズ化して成功する頃には
60近くになっていた。

こんな話をきいたら、
「もう自分はおじさんだから」とか
「いまさら遅いよな」とか
言ってる場合じゃないんです。

特に日本は「若さを重要視する」風潮が強い。

「史上最年少」だとか
「わずか◯歳の天才少女」とか。

若いことがとても素晴らしい、
未来の伸びしろがまだこんなにある!と
よくいうんだけどそんなことは
あんまり気にすることはない。
なぜなら若いうちに成功する人たちは
幼い頃から環境が整っていたり、
才能や運やタイミングに恵まれているから。

おじいさんでも目の奥がキラキラ輝いている人もいるし、
若く美しい女性でも目の奥が疲れ切って「人生3周目です」みたいな人もいる。

年齢のことばかり気にしないで、
いま自分の体が動くんだった、
無限の可能性があるでしょう。
何歳でも成功できるでしょう。

ただ、成功して有名になったときの
イメージが後世に残るので
じいさんで成功したらずっとじいさんの姿が
残りつづけるのはしょうがないですよね。笑


『悩む前に悩むな』

幸せの価値観ってのは人によって違う。
何をしているときが自分にとって幸せかを
考えればいい。
そしてそれをし続けるためにはどうすればいいかを考えて、
そのように行動すればいい。

高校のときの部活の先生が
卒業のときに
「悩む前に悩むな」
って言葉をくれた。

当時はよく意味がわからなかったけど、
いま自分なりに解釈できる歳になった。

何かを実行するかどうか悩むんじゃなくて、
とりあえず実行してみてから悩め、
ということだと思う。

つまり
まだスタート切ってもいないのに
悩むくらいだったらとりあえず飛び込んでみろよ。
っちことだと思います。

つづく

2014年12月26日金曜日

『たこマックス』

今日は9:00からレジだったので、
いつも通り元気に接客していたら、
外から「バゴンッ!」と鈍い音が聞こえた。
相方の後輩がその音を聞いて「!?」という表情をしていたので、
「事故った音かもしれないから見てきてくれ」と頼んだ。
外に走る後輩。
しばらくして戻ってきた顔は苦笑いだった。
聞くと「車が店に突っ込んだ」ようだ。
運転手は70代くらいの品のイイおばあちゃん。
駐車時にアクセルとブレーキを踏み間違えたらしい。
本来車が突っ込めばガラスが割れ、
怪我人続出のあわや大惨事のはずなのだが、
奇跡がおきた。
ちょうど目の前にゴミ箱があったのだ。
ゴミ箱がクッションになり店は無傷だった。
おばあちゃんがもしひとつ隣に駐車していたら、
確実にガラスは割れて、けが人も出ていたかもしれない。
不幸中の幸いとはまさにこのこと。

皆様も年末年始にかけて、
何かと慌ただしいとは思いますが、
くれぐれも安全運転でお願いします。

あと道が混むことを予想して、
いつもより少し早めに動きましょう。

あと
寒い日のたこ焼きは美味しい!

『ベターデイズ』

ベタなことをするってとても大切だと思う。
私は日頃からベタなことをするのが大好きだ。

誰かがボケればイスから崩れ落ち、
誰かに突っ込まれれば、大きなリアクションを取る。
痛いことする前にしっかり前振りするし、
ノリツッコミもたまにする。(あまり得意じゃないけど)

いちいちめんどくさいだろ、っていう人もいるけど、
私は好きなのだ。
ベタとはすべてのコミュニケーションの基本なのだ。
面白い話をすれば笑うし、
悲しい話をすれば悲しい顔になるのが自然だ。
さらにいうと、
誰かがボケて
「今突っ込んで欲しい」
と思っているところに
突っ込みを入れるとか、
このタイミングでこんなしょーもないこといったら
場の空気が凍るだろうなとか、
って思った瞬間に、迷わず実行する。

そうすると大体想像以上の結果になることはないのだが、
逆に悪くなったことはほとんど無い。

昨今インターネットの復旧で、
匿名の無数の「やじ」が世界中に徘徊している。
これによって人々は、
「こんなこと言ったら誰かに批判されるんじゃないか」
「こんなことしたら誰かにバカにされるんじゃないか」
などと考え、行動に移すことを拒む。

でも私は批判されるリスクより、
実行しなかったときの取り返しの付かない後悔の方が大きい。

だからベタなことをし続ける。

『映画と親父』

私の親父は兵庫県西宮出身の関西人。

親父はしょっちゅう誰かと電話していた。
仕事の話をいつでも携帯電話片手に。
親父は短気ですぐに攻撃的な言葉を吐いて相手を傷つけるのだが、
その反面、ビジネスでの交渉においては凄みを利かせるなどの技で
相手をうまく口説いていたらしい。
親父の話を聞いていれば、
その口の上手さは子供の私にもわかった。
このようにビジネスでは饒舌なのに、
家ではとても口下手な親父。
話題といえばTVのあいつがああだとか、
あの事件はこうだとか、
自分が気になったことを話すくらいで、
「今日学校はたのしかったか」とか
そのような類の話はいっさいしない。
親父と共通の話題といえば
もっぱら映画の話だった。

私は小さい頃から
親父の影響で洋画ばかり観ていた。
物心つく頃から
マッサージチェアで寝ている親父のお腹の上に寝て、
洋画を観まくった記憶が鮮明にある。
寝ながらでも吸っていた
超ヘビースモーカーだった親父の部屋は
TVの明かりだけで、
いつでも煙が充満していて霧がかっていた。
暗い部屋で煙に巻かれ
TVから爆音のハリウッド映画。
いまでもセブンスターの香ばしい煙を嗅ぐと
親父の部屋にタイムスリップした気分になる。

親父は癇癪持ちでよく母親を罵倒し、怒鳴り散らした。
食事中に怒れば料理が飛び交い、
運転中に怒れば暴走運転をして事故りかける。

そんな親父が唯一怒らないときが、
寝ているときと映画を観ているときだった。
あんな荒くれ者も映画を観ているときは
「映画を見ている人」になるのだ。
「映画を見ている人」は映画の魔力によって
映画の前にひれ伏す。
殺伐とした生活に
ひとときの安寧をもたらしてくれる
映画が好きだった。
親父が機嫌悪くて家で暴れていても
映画の世界の中に、自分の居場所があった。
映画は、私の3人目の親といっても過言ではない。

2014年12月23日火曜日

『MAKE MONEY』

小学校中学年くらいのとき
親父と二人で車に乗ってたときのこと。
いつものように運転しながら仕事の電話を大声でする親父。
私は窓の外のいつもと同じように過ぎ去る景色をぼーっと眺めていた。
親父は電話を切ると不躾にこう言った。

「ムネタカ、この世で一番大事なもんは何かわかるか?」
「・・・え、わからん・・・。」

突然の質問に返す言葉を探していると、
すぐにこう言われた。
この人はいつも自分のペースで話す。

「この世で一番大事なもんは金や。金がすべてや。」
「そうなん?」

「金があったら、なんでもできる。
やからなぁムネタカ、男はなぁ金が稼げんとしょーもないぞ。」
「・・・うん。」

小学生の私でも分かるくらい
常に金策に追われていた父親に、
そんなことを言われたから動揺した。
親父は多額の借金を抱えているにも関わらず、
天性の人たらしの才能と手先の器用さで
どこからか仕事を引っ張ってきて、
金を工面していた。

もちろん銀行もクレジットカードもブラックリストで、
私の母親の名義も汚しまくっているにも関わらず、
どうにかしていつも金を回し続けていた。

幼い頃から「この世で一番大事なものはお金」だと
言われ続けてきた。
日々お金に追われ、死ぬ直前までお金のことを考え続けていた親父。

そんな親父の生き方を見ていて、
「お金の大切さ」は身をもって実感している。
また大人になればなるほど、
お金があればしたいことができ、
大抵のものは手に入ることも知った。
多くの人が日々お金のことを考えながら、
死ぬまでそのことを考え続けていることも知った。
もし、お金の心配をしない毎日だったとしたら?
時給に縛られない生活だとしたら?

親父は金を稼ぐこと自体に取り憑かれている気もしたけど、
でも親父の根本的な考え方、
「人より稼げ」という教えは
この歳になって理解できる。

人の教えというのは、鵜呑みにしなくていい。
自分に都合のいいように解釈していいし、
誰かが自分のために言ってくれてることは、
少しでも役に立つことであるはずなのだ。

真偽は定かではないが、
ツイッターで偶然見つけた北野武の名言もこのことを気づかせてくれた。

金、とにかく金を稼げ、
それで何でも買ってみろ。
愛 恋 友情 幸福 みんな買えたか
それから金で買えないものを探せ

私がいままで生きてきて、
現段階で親父と考えが違うのは、
「お金が一番」じゃないことだ。
たしかにお金はとても大切で、
この現代社会での豊かさはお金で測れる。
しかし、お金はあくまでツールだ。
私が何かをするためのツール、
または私がなにか役に立ったときの対価だ。
この考え方ができれば「時給で稼ぐこと」から解放され、
お金を稼ぐことへのモチベーションも上がる。

親父は極端でむちゃくちゃで
お金にもルーズだったが、
彼が苦労して生きてきて導き出した答えの一端に
私の人生に必要な要素があると、
最近は考えるようにしている。

親父のことは心底嫌いで、
死んで記憶の中で美化されることすらも嫌悪だったが、
26年生きてくると色々と考えも変わってくるものだ。

今の私には金がないが、
自分のしたいことのために金を稼ぐ。
そして私にも他の誰にでも潜在的にその能力はあるはずだ。


2014年12月22日月曜日

『ストリートミュージック』

囲われた檻の中で生きるのは、
暖かくて安全だ。
しかしごく稀に、
自分の身の程も知らずに
その檻を飛び出そうとするものがいる。

小学生のとき
田んぼで捕まえた丸々太ったヒルを、
ガラスのコップに水を入れて
窓際のロッカーの上で飼っていた。
たまに手のひらに置いて、餌代わりに血を吸わせていた。
たしか名前も付けていたと思う。
そんなかわいがっていたヒルが、
ある朝、学校にいくと
冷たい床の上で
乾燥ワカメみたいに干からびて死んでいた。
それを見たとき、
なんとも言えない悲しさとあっけなさに
全身が包まれた。

囲われた檻を飛び出すものは
多大なるリスクを背負うことを
ヒルは教えてくれた。

ただ、やらなきゃゼロなんだ。
後悔を積み重ねる一生より
リスクを積み重ねる一生の方が
面白いに決まってる。

2014年12月21日日曜日

『友よ今日もありがとう』

普段自分が考えているしょーもないことや、
もやもやする悩み、小難しいDNAの話まで、
それらを気軽に語り合える友人がいるということは
本当に恵まれてるなぁと思う。

こういう友人がいるということは
当たり前のことじゃない。
とても幸運なことだ。
私は幸せものなのである。

今日だってバンドの撮影終わって、
楽器屋行ってマンガ倉庫いって、
なんか気になったたこ焼き屋でたこ焼き食った。
道中、
DNAについて、音楽について、宇宙について、
男と女について、成り上がりについて、ゆずについて、
ジョジョの奇妙な冒険のカーズについて、
生死の定義、現代社会においての優勢遺伝子について、
スタップ細胞について、ファンキーさんについて、
本当に様々なことを渋滞で一向に進まない車内で話した。

普段思っていることを
ただ口に出していうだけなのに
なんだかスッキリした。

仕事ではなく恋人でもなく
友人と語り合える「余白の時間」は
人生において大切な瞬間だと思し、
そのために普段から時間の「のりしろ」を作って
生きていくべきだと実感した。

友よ
今日も
ありがとう

 

2014年12月20日土曜日

『Change my mind』

人は中々変えられないけど 自分なら変われる

自分の思うようにいかなかったり、
気持ちが伝わらなかったりしたとき、
私はこう思うようにします。

「なんでこんなに思ってるのに」とか
「わかってくれないのだろうか」とか
思っても、他の人の頭の中を知ることはできません。
そもそも私の言ってることが
どれだけ伝わっているかなんて、
相手にしかわかりません。

自分が変わればいいんですよ。
「もっとわかりやすく言えばいいんだ!」とか
「これ以上はやめておこう」とか
相手を矯正しようとするんじゃなくて
自分が柔軟に合わせていく。
低反発まくらのように。

人を変えようとするととてもストレスだし、
そう簡単には変えられません。
その人が変わるときというのは、
本人が本当に変わりたいと思ったときだけなのです。
それを他人がコントロールすることはできません。

それができるようになれば
他人は変わってないのに、
自分は変わるから
結果的に世界が変わるんですよ。

だから全部自分の考え方次第なんです。


2014年12月19日金曜日

『morsoパーティバンド』

2012年12月からイベントスペースとして
6人で運営してきたmorsoが、
2014年12月27日に解散します。

その解散パーティのためのバンドを
たくみくんが企画しました。

その練習をしました!
何かの終わりは何かの始まりといいますが、
まさにそういうことです。
すべてはここから始まりまります。

2014年12月17日水曜日

『忘年会シーズン!知って得する悪酔いしない方法』

この時期、忘年会やらなんやらで
酒浸りになるみなさんも多いのではないでしょうか。

そんなみなさんにお伝えしたいことがあります。
私が最近知人のドラマーから聞いた話をそのまま書きます。

そのドラマーは10代からアメリカに渡り生活していました。
彼はお酒が飲める年齢になり、
日本とアメリカのお酒の飲み方に、
違いがあることに気づきました。

彼はこう語ります。

アメリカ人は平均的に、
日本人よりも飲む量が多いのに悪酔いしない。

それはなぜか!

アメリカ人はお酒と一緒に、
同じくらいの量のチェイサー(水)を
飲んでいるというのです。

だから、悪酔いしづらいんだと。

その話を聞いて以来、
お酒を飲むときは(滅多に飲まないが)
チェイサーを頼んで、
お酒と同じくらいの量を
飲むようなしています。

そうすると翌日、
いつもより肝臓が疲れていない
ことに気づきました。

普段は二日酔い防止のための
ウコン錠剤を飲んでる私は、
今後この方法も併用して、
お酒を楽しもうと思います。

さらば二日酔い!

2014年12月12日金曜日

『解き放て』

この世界が本当に残酷だと思えた瞬間から、
この世界が本当に美しいと思える。

黒という色を知っているから、
赤の赤さや、青の青さ、
そして白の白さに感動できる。

白の世界だけで生きている人間は、
本能的に黒を知ろうとして、
自らの身体に色を塗りたくる。

人によってその行為が、
意図しない範囲に及ぶこともある。

どんなに文明が発達しようとも、
人間が聡明になろうとも、

その好奇心や欲望は、
いつの時代も繰り返しているし、
誰にも止めることはできない。

僕らは所詮
生命の流れのちっぽけな歯車
大海の藻屑

この本当にちっぽけな存在が、
ときに無限の可能性を想像できる。

難しいことじゃない
次の瞬間から誰にでもできる。

心、解き放て。


2014年12月9日火曜日

『2人ドラム』

久しぶりのバンド練習でテンション上がって、
2人ドラムした。
ギター弾いてるのはりんちゃん。

楽器久しぶりに触ると楽しい〜!

時折ニヤけてるのは、
ジョージの鼻息が耳に当たって、
ゾクッとしているからです。

2014年12月2日火曜日

『音源チェックだイェーイ』

剛鉄荘がキレイになってておどろいた!

今日は20:00から音源チェック。
ジョージがMIXしてくれた音源を
通しで聴いてみて、
音量や繋がりが自然かどうか確認した。

しかし剛鉄荘は家の一部が外だから、
寒いのなんのって。
コートを羽織り、聞いていたよ。
でもジョージの作ってくれたコーヒーはとても美味しかったよ!

2014年12月1日月曜日

『すべての出会いが必然であるかどうか決めるのは自分次第』

毎日いろんな人から、
アドバイスや刺激をもらって
素晴らしい日々を生きてるなぁと思うが、
昨日は私が長年抱えている悩みを
払拭してくれるような出来事があった。

「したいことをすればいい」

この言葉の裏にある様々な異論反論を
ここ数年、自問自答し続けてきた日々。

しかし、
出会うべきして出会い、
いましか響かないという絶対的なタイミングで、
真理を伝えてくれる人がいる。

それに気付けるかどうか、
素直に享受できる柔軟性を持ち続けられるか、
いくつになっても、
アンテナを張り巡られて、
吸収し続けたい。

このグダグダの「Whatever」は、
2人の宴であり、
今後の方向性そのものである。