2013年8月23日金曜日

じこはおこるさ

8月17日(土)
那覇で用事を済ませ帰路に着いたのが23:00ごろだったと思う。
いつも通り猛烈な眠気に襲われていた私は、ミンティア5粒を奥歯で割り、iphoneで「スキップビート」を爆音で流しながら、首里のでこぼこ道を下っていた。
フラフラのまま、西原に入る。
坂田の交差点を左折したあたりから記憶はなくなっていて、気付いたときには、ものすごい衝撃が私の体中を駆け巡った。

その瞬間、「あ、やっちまった」「何かにぶつかった」「前の車にぶつかったんだ」「代行の車?」「終わった」「修理代高いだろうな」「自賠責入ってたっけ?」など冷静な思考が一瞬のうちに浮かんでは消え・・・と、次の瞬間、地面に叩き付けられた。

朦朧とする意識の中で、なんとか起き上がろうとしたが身体が思うように動かない。
おっちゃんが必死に「大丈夫ですかー!?」と私に声をかける。
意識がある事を伝えなければと思い、力を振り絞って「はい、大丈夫です」と答えた。
おっちゃんはそれはそれは迅速な手順で、横に転がっていた鞄を仰向けの私の頭の下に枕代わりに敷いてくれ、「首を動かさないように!」と両手で私の頭をしばらく固定してくれていた。
次第に人だかりが出来る。追突した前の車はおばちゃんが運転していたらしく、「突然後ろから突っ込んできた」とみんなに説明していた。それを聞いて自分が起こした状況の裏付けが取れた。私のカブ号には大きなコンテナを積んでいたので、誰か勘違いしたのか「なにか配達の途中かしら?」という声が聞こえて、「違います」と突っ込みたかったけどそんな元気はなかった。

私の後ろを走っていた運転手が救急車を呼んでくれたらしい。すぐに救急車が来た。(でも後で思ったけど、ものすごく早く救急車が来たような感覚は、意識がない時間があったからではないかとも思う)
救急隊員はこれまた迅速にネックロックを装着してくれ、数人に担がれストレッチャーに乗せられ、救急車にぶち込まれた。


車内での会話。


救急隊員「お宅大学生?」
松野「はい、琉大でした」
救急隊員「卒業したの?」
松野「卒業はしてないのですが、中退です、そして現在フリーターです」
救急隊員「そうか・・・身内の連絡先わかる?」
松野「はい、兄貴が沖縄にいます・・・携帯電話に連絡先あります」


別に「卒業した」と答えておいてよかったのになんでそこまで真面目に答えたんだろうと後で思った。

私はポケットからスマホを取り出し兄の電話番号を呼び出し、救急隊に渡した。
救急隊は兄に電話してくれた。

そうこうしてるうちに琉大病院に着いた。
ストレッチャーでERに搬送され、そこで待ち構えていた救命医たちに色々質問された。
救命医は3人いて、その内の1人がベテランの女性で歳は30代、雰囲気が椎名林檎のような綺麗めな顔立ち。ほくろもあった。そして研修医っぽい女性と男性が1人づついた。


まず痛いところはないか、手足は正常に動かせるか、しびれているところはないか、先輩医師に何度も聞かれた。

後頭部から首にかけて痛みがあったので、そのことを伝えると「MRIしましょう」ということになった。

ストレッチャーでMRIのところに運ばれていく。天井しか見えない。頭はまだぼーっとしている。

MRIを撮り終えて、元のベッドに戻ると、「念のために超音波検査しますね」といわれ、ヌルヌルしたものをお腹に塗られ、先端が丸くて冷たい機械でグリグリされた。

先輩医師「ほら、これがね、腎臓。」
後輩医師「え、じゃぁこれは?」
先輩医師「それは骨。」

みたいな感じでしばらく「いい実験台」になっていたけど、引き続き頭がボーッとしていたので別にいいやと思っていた。
しかし、そのグリグリが股関節に近づくにつれ、こそばゆくなってきた。でも「あー!くすぐったいっ!うふふ!あはは!」など言えるはずもないので、しかめっ面をして笑いをこらえるのに必死だった。

なんで俺はERに運ばれベッドの上で必死に笑いを我慢してるんだろう?なにこのシチュエーション!とか思っていたら、さらに色んなところをぐりぐりされて、いつの間にか終わっていた。

研修医は「とても勉強になりました!」と言わんばかりの表情だった。

机上のデスクトップPCの画面に映し出された私の脳みその輪切り画像を見ながら、ベテラン医が訝しげな表情をして「ちょっと先生呼んできましょうね」と言いどこか消えて行った。

え!
やばいのかな?
なんか血とかが溜まってて、それが破裂寸前なのかな??

とか色んな妄想が駆け巡り不安になっていたら、まもなく専門医が来た。
PCの画像をしばらく指差しながら見たのち、振り返りこう言った。

「えー特に異常ありません。」

ホッとした。いや、ホッッッとした。


遠くから声が聞こえる。
「18歳男性、突然意識を失い倒れ、現在救急車でこちらに向かっています、状態は・・・。」
どうやら急患らしい。
すぐにカーテン越しの隣のベッドに搬送されて来た彼は意識がなく危険な状態だった。

私は1人になった。

次第に頭のモヤが晴れてきて、ベッドの上で1人、ふと「生きててよかった」と噛み締めた。

兄貴がベテラン医に連れられて来た。

兄貴はすごく普通のテンションで「大丈夫か?」と聴いた。

私は「うん、大丈夫。ごめん。」と答えた。

なんかもうノーリーズンでめちゃくちゃ安心した。

奇跡的に異常はどこにも見当たらず、ムチウチになっていただけなので、歩いて退院した。

兄貴はうちまで送ってくれた。

途中、コンビニでサンドイッチと水を買ってくれた。

そしてうちに着くと「今日はここで寝るわ」といい、椅子に座り腕を組んで目を閉じた。

頭を打った患者が夜中に容態が悪化して死亡するケースもあるため、兄貴は一晩、クーラーもないクソ蒸し暑い部屋に泊まってくれた。

「レオン」のジャン=レノスタイルで兄貴は少し離れたところから見守っていた・・・。

色んな人に迷惑をかけ、膨大な修理費と治療費、そして時間が費やされた。

もう二度同じ過ちを繰り返さないためにここに綴る。

「みんなも運転にはくれぐれもきおつけてね!」




2013年8月5日月曜日

東京にいってきました2

「とりあえず100均にいって靴ひもを」と考えてる間に、中華街に到着。
元町・中華街駅は天井が高くてエレベーターが急で、近未来風。

未来都市みたい

エレベーターで上がると、しばらく通路を歩いた。800mくらい歩いたと思う。
あまりにも長すぎて途中で「ポケモンに出てくる地下道みたいだね」っていうどうでもいい会話をした。

Bボタン押しながらだとアイテム拾えるあの地下道みたい

通路を抜けて5分ほど歩くと、みえてきました人だかり!
そして中華街っぽい建物たち!

THE 観光客

とりあえずインフォメーションで100均があるかどうか聞くと、中華街の奥の韓流百貨店なるビルにダイソーが入っているという情報を手に入れた。

それを聞いて安心したので、ぶらぶら食べ歩きを開始する事にした。
まずゆるふわさんの「本場の小籠包が食べたい」という要望に答えるべく、それらしき店を探していると行列を発見。
「並ぼう」とみんなに言うと、ヒトリッコが「食べ物のために並ぶなんて人生で初めてだよ」とぼやいていた。

並んでまで買った「小籠包」をいざ実食!
噛んだ瞬間に水風船のように肉汁が溢れ出し初めは驚いたが、そんなことどうでもいいぐらい美味かった。上に乗った千切り生姜がピリッとアクセントになっていた。
本場の中華街の空気と「並んで買った」という行為も味を後押しして、とても美味しかった。

「みんなとてもおなかがすいてるから、とりあえずガッツリ食いたいよ」という意見に賛同。食べ歩き中断宣言の4人が向かったのは、2時間食べ放題の大衆食堂に入った。

点心祭りじゃぁぁ!

満腹で満たされた4人は、ふたたびプラプラと歩き出した。
少し歩くと韓流百貨店を発見!一目散に駆け上がり、靴ひもを購入できた。
「これで安心」とホッと一息して下に降りると、タクミがベビちゃんみたいな帽子を衣装として購入していた。とても似合っていた。
怪しい雑貨屋でお土産かったり、唐辛子キーホルダー屋のおばはんと軽く喧嘩したりしながら、ぐるっと中華街を一周した。
周り終わった後、食べ過ぎて気持ちが悪かったので、ビル前の日陰のスペースで20分くらい寝込んだ。食べ放題にいくと、大抵食べ過ぎて体調を壊す。

 巨大なベビちゃん


 中華街の真ん中にて

 中華街の門前にて

というわけで、中華街を満喫した4人は渋谷駅について、一度解散した。
松野はその後、キュウソネコカミのライブを観に代官山へ。
代官山は、駅降りた瞬間から洗練されたオシャレ空間に包まれた。
充電がやばくて飛び込んだファミマもオシャレだった。
代官山ユニット目指して走った。
こんな閑静な場所にライブハウスなんてあるのかな?と思いながら進んだ。
なんとか見つけて中に入ってみると、会場はめちゃめちゃ盛り上がっていた!

「いろいろ勉強になった」
魅せるねー!キュウソネコカミ初めて観たけど好きになった。

という怒濤の1日でした。