2017年2月13日月曜日

お知らせ

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2017年1月28日土曜日

お葬式8(終)

16:30
小さくなったおばぁちゃんと初七日を行うため、三たび葬儀場に戻る。

先ほどみんなで弁当を食べた部屋が、初七日を行う会場へと早変わりしていた。


お上人さんがまだ到着してなかったので、横一列に並んだ椅子に腰掛けて親族一同待つことになった。

隣に座ってた人に話しかけて見た。神田さん(仮名)は、シニアサポートセンターという人材派遣会社の人だ。去年の夏に西宮に来たときに挨拶した覚えがある。細身でショートヘア、そして謙虚な佇まい。40台後半くらいだと思う。


人材派遣会社の人は本来現場には関わらないのだが、時間を見つけては、ボランティアでおばぁちゃんの面倒を見てくれたとても優しい方だ。




おばぁちゃんがお世話になったお礼を述べて、世間話をした。



モッくんも交えて音楽の話をした。高校生の息子の影響で「ONEOKROCK」なども知っている神田さん。




私が昔バンドしてメジャーデビューを目指していたことを話すと感心を示してくれた。私が東京でライブしたとき、実はモッくんは、1度見に来てくれたことがある。









「お経も『曲』なんだと思いました」







この数日間、お経を聴き続けて私が感じたことを、2人に話すことにした。





通夜と葬式のお経は長くて、30分くらいある。じっくり聞いてみると、お経も曲のように「流れ」があることがわかった。


はじめの方は「今から私が〇〇さんの霊を成仏させるためにお経を唱えます」的なことを言ってるんだと思う。




つまりアーティストがライブの始めにいう「みんな今日は来てくれてありがとう〜!それでは、聞いてくださいっ『For you』」的な部分だろう。





口上を述べたあと、ハラハラと経典を開いて、お経が始まる。





はじめは、木魚も叩かずにリズムレスで、ビブラートを聞かせて読む。





一通り読み終えると、木魚がキンキン入ってくる。ここでキンキンと表現するのは、日蓮宗の木魚は私が知っている丸っこいそれとは違い、円形の木の塊みたいなものを叩くので、キンキン高い音がする。「木鉦(もくしょう)」というらしい。これは結構耳に触る嫌いな音だった。分かりやすく図にしてみた。





話は戻るが、つまりここで、
リズムが入ってくるのだ。






J-popで例えるなら、
ORANGE RANGEの「花」の冒頭、「花びらの〜ように散り行く中で〜夢みたいに〜君に出会えた奇跡〜(略)」が終わって、楽器隊がドカンと入ってくるあの感じだ。






リズムが入ると、お経もノッてくる。スピード感もでてくる。




始めは「キンキンキンキン」とインテンポの8ビートが続くのだが、10分ぐらいすると、「キンキンキキンキンキキン」みたいな変拍子が入ってくる。





Bメロで曲の雰囲気を変えるのもJ-popぽい。







そのあと、あの有名なフレーズ「南無妙法蓮華経」を延々と繰り返す。





サビだ。





このパートになると必ず、西宮のおばちゃんは、お上人さんと同じくらい大きな声で「南無妙法蓮華経」を一緒に唱える。






リフレインだ。






例えるなら、
ケツメイシの「サクラ」の「ヒュルリーラ〜ヒュルリーラ〜」や、チャゲ&飛鳥の「YEAH YEAH〜」の部分だろう。







延々繰り返される「南無妙法蓮華経」は、言葉の意味などとは違った次元の世界に我々を誘おうとする。






アーティストのライブ映像をみるたび、私が感じていた違和感はこれだった。たくさんの人々が集まって同じ歌を聴いて歌う光景って「宗教」っぽい。





歌ってすごい・・・。





リフレインが終わると、再び通常の8ビートのお経に戻る。





最後は、始めと同様、木鉦なしでビブラートを聞かせながら読み上げる。




これはアーティストがライブで、曲の最後をリッドして(徐々にスピードを落として)歌い上げて終わるそれと同じだ。




なるほど、
お経という何百年も前から存在するものに、現代のポップソングに共通する「流れ」があるとは、驚きだった。




つまり、「物事の本質的なことは変わらない」ということだ。今も昔も。どんなに世の中が変わったとしても。




全然お上人さんが来ないので、この「お経、実は『曲』説」を神田さんとモッくんに熱弁した。




2人とも笑いながら聞いてくれた。優しい。




待つこと30分。
17:00
お上人さんが到着。よろよろ歩いて仏壇の前で一礼する。






さて、「初七日」というライブがこれから始まる・・・。





おわり


2017年1月24日火曜日

お葬式7

棺桶が閉じられて式が終わると、
我々は上着を羽織って外に出た。

私とモッくんとスタッフで、
棺桶を霊柩車に運び入れる。

霊柩車は、おばぁちゃんが長年くらしたマンションの前を通って、火葬場へ向かった。10分ほどで着いた。

霊感など微塵もない私だが、やはり火葬場は異様な空気が漂っていた。万物の色彩がズルリと抜け落ちたような風景。色を無くした風が冷たく墓地に吹き抜けていた。

炉が一列に並んでいる。
壁の向こうでは業火がバチバチとうねっているだろうに、この広いフロアは静かだ。

「ひまわり」と書かれた炉の前に棺桶が運ばれた。お上人さんも一緒に来てくれて、お経を上げてくれた。

たしか私の父が亡くなったとき、赤い着火ボタンを喪主の私が押したような記憶があったが、今回はそのようなことはしなかった。

炉に棺桶が入れられ焼かれる間、我々は1度葬儀場に戻った。

待合室で親戚一同と弁当を食べた。弁当といってもさすが高級葬儀場。鮭の西京漬、温野菜、刺身、美味しすぎて驚いた。


15:40
再び火葬場に戻る。炉の中から、先ほどまで人間の形をしていたおばぁちゃんが、跡形もなく消えていた。綺麗な花も、死装束の水色の着物も、布張りの棺桶も何もかもなくなっていた。代わりに、白いカケラがバラバラに置かれていた。

箸が配られ、焼き場の人が説明してくれる。この人も目にアイシャドウをたっぷり塗っているみたいな、ひどい顔色だ。




「まず、これが喉仏ですね。仏様が手を合わせているような形をしています。」







本当だ。仏様が両手を合わせて、祈っているように見える・・・すごい。大昔の人もこの形をみて「仏様だ」と驚いたのだろう。どんなに時代が変わっても共感できることってあるんだなぁと思った。








「ほんまやぁ・・・」と一同感動した。




「本骨」と呼ばれる小さな骨壷に喉仏を入れる。これは西宮のおばちゃんが慎重に行った。






次に「胴骨」と呼ばれる大きい骨壷に、身体の骨をみんなで入れていく。








「胴骨に全ての骨は入りません。足の方から徐々に入れていきましょう」








慣れた様子で骨の説明をしてくれる。







「これはカカトの骨ですね」







「これはどこの部分?これは?これはどこの部分?」








西宮のおばちゃんの登場だ。








「これは、膝のところですね」








「え?これは?これはどこの部分?これは?」







「これは、そうですね・・・これも膝のところですね」







「これは?これはどこの部分?これは、どこの部分?」







そんなにどこの部分か気になるのか!!!とツッコミたくなるくらいしつこく聞いていた。「焼肉屋にいる、肉にうるさい客」みたいな言い方やめてくれ。





結局収まりきれないくらいパンパンに骨を入れたので、蓋でギュッギュッと押し潰した。




別室にいき、2つの骨壷を白い風呂敷で包む。「本骨の中の喉仏が倒れないように慎重に包んでください」と西宮のおばちゃんが係の人にいっていたけど「そんなん無理やろ。どうせ運ぶんやし倒れるで。」とキヨちゃんがすかさず、みんなの思っていたことをツッコんでくれた。キヨちゃんは我々の代弁者であり、この場での救世主だ。



つづく


2017年1月21日土曜日

お葬式6

葬式というものは不思議なものだ。喪主なんて誰でも一生に一度くらいのもので、みんなど素人だ。


そんな不安な気持ちでいっぱいの喪主に、付きっ切りでアドバイスしてくれるのが、葬儀屋の担当スタッフだ。


今回担当してくれたのは、麒麟の川島の顔色を最高に悪くして、さらに目の周りににたっぷりアイシャドウを施したような顔のひとだった。(以下、川さん(仮名)とする)


テンパったり、無理難題をいい出したり、こだわり出したら時間を気にせず突き詰める、最強クラスに面倒臭さい西宮のおばさんにもとても丁寧に対応してくれた。


ときおり見せる川さんの生気のない笑い顔は死神にみえた。


本当に死神がいるとしたら、いつも死を見てるから、死体見ても何も思わないだろう。川さんもそんな目をしてたからプロだな、と思った。



結婚式のウェディングプランナーやエスコートも似たような疲れ具合の表情をしている。(私は披露宴会場で4〜5年ビデオカメラマンのアルバイトしていたので結婚式には詳しい)




生を祝う現場も死を弔う現場も、「エネルギー」と「気」を使う現場だ。


そういえば、私の父の葬儀のとき、喪主の私に色々お世話してくれた葬儀屋のおじさんの顔を今でも覚えている。ゲゲゲのキタロウに出てくる丸顔メガネのおっさんにそっくりだった。


話は戻るが、この川さんで本当に良かったと思った。


西宮のおばさんが供花の角度が気にくわなくて15分くらい微調整したときも、一生懸命付き合ってくれた。


12:00
親族みんなで集合写真を撮る。

西宮のおばさん
「これ、笑っていいんですか?(葬式だから)笑うのもなんか違うと思うんやけど、笑っていいんですか?」

しつこく、何度も、苦笑いするカメラマンに聞いていた。

あなたの発言で笑ってしまいますからやめてください(笑)


思い出した。
これは「絶対に笑ってはいけない葬式24時」だということを・・・


「少しね、少し微笑んでください」というカメラマンの返事に納得して写真を無事撮り終える。


12:30
参列者が全員揃い、川さんの声が会場に響き渡る。

「これよりぃ、マトゥノぅ、トゥメすぁまのぅ、ご葬儀をぅ、始めさせてぃいただきますぅ」


川さんはサ行とタ行の発音がすこぶる悪い。


「おしょうにんさまぁ・・・ごにゅうじょうですっ!」



なにこのリングコールみたいなアナウンス。


昨日より着飾ったお上人さんが、昨日より低速でヨタヨタと歩いてきた。




あかん!モッくん、もうちょっと笑ってるやん!
こっちみないで!つられて笑っちゃう!




お経が始まった。


また清ちゃんが話している。88歳にもなると何事にも動じなくなるのだろうか。たとえ葬式だろうがなんだろうが、話したいときに話す。それとも昔からこの方は自由に生きてきたのだろうか。そんなことを考えているうちに焼香の順番が回ってきた。



全員が焼香を終えた。



「続きますぃてぇ」


だからそのリングコールみたいな言い方やめて!


「皆様の手でお花を入れていただきます」


すると、スタンバイしていた花屋のお兄さん2人が出てきて、慣れた動きで供花をスポスポ抜いていく。


そのお花を葬儀屋のスタッフがカゴに入れて、参列者に渡す。


参列者は最後のお別れとして、顔を拝みながら花を棺桶に置いていく。


花で埋め尽くされた棺桶。おばぁちゃんの顔だけポコっと出てる。


みんな「綺麗だ」と言っていた。


確かに、和洋入り混じる色とりどりの花で埋め尽くされた棺桶は美しい。



ふと、自分の葬式はどのようにしたいかなと考えてみた。



花を棺桶にギッシリ詰めてほしいとも思わないし、このよくわからないお経にみんなを付き合わせたくもない。


「楽しくしたい」と思った。



こんなことをいうのもどうかと思うが、この「悲しみ続けなきゃいけない」みたいな雰囲気がどうも苦手。そりゃ人が死んだらもちろんとても悲しい。でもこの形式的に「さぁここで悲しんで下さい」「ここ1番悲しむところですよ」みたいなのって、下手な演出の映画を見させられているようで滑稽に感じる。


結婚式もそうなんだけど、「形式」が一人歩きして、「本質」が見えていないものをみると、なんともモヤモヤした気持ちになる。


とはいっても、やはり「形式」があると安心できるから、みんなそのように行うのもわかる。考えなくていいからね。


だから、私の葬式を私自身でプロデュースするなら、お経は5分にして、あとは、思い出を語るなり、好きにパーティしてくれたらいいと思う。遺体は燃やして、骨は砕いて、柚子の木の下にでも撒いてほしい。そして欲を言えば、毎年その柚子で柚子風呂にでも入ってほしい。


そのとき、信頼できるスタッフが必要だと思った。それは親族だ。子であり孫である。



彼らがたくさんいてくれるほど盛り上がる。


だから、たくさん子供を作って、子孫を残そうと思った。






私の母はいつも「死んだら骨を粉々にして海に撒いて欲しい」という。私の母の弟も「死んだら畑に撒いてほしい」という。


そういうことを聞いてきたから、私もそう思うようになったのかもしれない。また考え方は変わるかもしれないけどいまのところはそう思っている。


つづく


2017年1月20日金曜日

お葬式5


話は遡る。
おばぁちゃんは、1月10日の深夜になくなった。亡くなる瞬間の様子を西宮のおばちゃんと横浜のおばさんが見ていた。そのとき23:55くらいか24:00ギリギリだったらしい。その後、医者が来て死亡確認をした。そのときには日付けは変わり、11日の0時数分だったので、死亡診断書は11日になった。


西宮のおばさんはこの出来事を、壊れたレコードのように何度も何度も言う。


「死亡診断書には11日と書かれるのはしゃーないけど、位牌や骨壷に書いてもらう日付は10日にしてもらおうか?だって私、この目でおかぁちゃんが亡くなるのみたんやで。そのときまだ10日やったのに。」

お上人さんに、位牌の日付を「10日」と書いてもらおうかどうか、ずっと相談された。

頭の中がそれでいっぱいなのだ。

13日にモッくんは東京からやって来てすぐ、この相談を1時間近くされていた。

なぜ彼女がこんなにもこだわるのか全然わからなかった。正確に物事を処理しないと気が済まないか、おばぁちゃんへの愛なのか。

結局、通夜に来たお上人さんに日付を「10日」にしてもらうようにお願いして、この話は終わった。

1月14日
8:40

西宮のおばさんの大きな声で起きた。
お上人さんから着信が入っていたらしい。

「もしもし〜!お上人さんですか?朝早くから失礼します〜。あの、日付の件なんですけどね、10日ではなく、やっぱり11日にしてもらいたいんですわ〜。」



え?やっぱり11日にするの?



「もしもし〜?もしもし〜?あれ、聞こえてますか〜?お上人さん?もしもし〜?もしもし〜?」



この後、30回くらい「もしもし〜?」が続く。


お上人さんは75歳くらいでとても耳が遠いので、またそれが原因なのかなと思っていたが、そうではなく、どうやらお上人さんの携帯電話の調子が悪くてこちらの声が聞こえないらしい。

おばさんは寝起きの私の方向にくるりと振り向き、ハキハキとした口調で、

「宗孝ちゃん、悪いけど、行ってくれる?浄願寺。」

「ハイ ワカリマシタ」

浄願寺には私の父も祖父も、納骨されている。先祖代々お世話になってる寺で、お上人さんは父と同級生らしい。

父が死んで8年間、一度も墓参りに行ったことがなかったので、場所も知らなかった。

いい機会だから、久しぶりに父に会いにいってみようと思い、車を走らせた。

今津駅駅のすぐ近くに日蓮宗の寺「浄願寺」はあった。

インターフォンで事情を話すとスウェット姿の女性が出て来た。お上人さんがいらっしゃるか聴くと、もう外出してしまったというので、日付の件を伝えた。

納骨堂の場所を聞くと、すぐ隣の建物だったので行ってみた。

とても古めかしい、例えるなら蔵のような建物。重い扉を開け、電気をつけると薄暗い室内の正面に「日蓮聖人」らしき木像がライトアップされる。


うわっ、
結構、不気味だ。


図書館の本棚みたいに左右に均一に棚が置かれていて、中は小さく区切られている。その中に骨壷が収められている。


とても父の骨を見つけられそうな数ではないなと思い、木像の前で線香を一本あげて立ち去った。



またゆっくり来よう。




葬儀場に戻ると、さっそくお上人さんから連絡があったらしく、日付は「11日」にしてくれるらしい。


少しホッとした表情で西宮のおばさんがいう。


「私、重大な過ちを犯すとこやったわ〜ほんまに。死亡した日を10日してたら、せっかくおかぁちゃん10日まるまる1日生きたのに、それがわからへんやんなぁ。11日を死亡にした方が絶対ええやんなぁ〜。」



「だから始めから11日しとけばよかったじゃん」と思ったけど、ふと考えた。



私が昔コンビニで働いていたとき、店内で手作りおにぎりを作っていた。このおにぎりの賞味期限は製造時間から6時間。

例えば10時にラベルを出したら、賞味期限は16時までなので16時まで店頭に置ける。

ラベルマシーンは9:00にラベルを出そうとも9:59にラベルを出そうとも9:00のラベルが出る。


9:55におにぎりを作り終わりラベルを出そうとするが、このとき10:00まで待つのだ。



そうすれば賞味期限が1時間伸び、店頭に置ける時間も1時間伸びるのだ。



西宮のおばちゃんは、
「少しでも長く」
という考えだったのかな。



そう思って、
ゆっくりと、
自分を納得させた。


つづく




2017年1月19日木曜日

お葬式4


1月13日

19:30
通夜が終わり、久しぶりの再会を祝してモッくんと一杯飲みにいこうと思い西宮のおばちゃんに出かけてもいいか聞くと「行ってらっしゃい。でも今日はあくまでもおばぁちゃんのために集まったということを忘れないようにしてくださいね」と澄ました顔で言ってきたので「そんなことはわかってますよ」とサラリと言い返して葬儀場を出た。一瞬で人を不快にさせる才能を持ってるのよね、すごいよこの人。

歩いて5分ほどの鉄板焼き屋で、通夜の話を肴に生ビールで乾杯。

どんな仕事をしてるのとか、東京の生活はどうなのかとか聞いた。モッくんも私もすでに父を亡くしていることやまだ結婚してないことなど、目に見えない共通点みたいなものがあって、話してて心地よかった。

「大沢たかおに似てるよね」と言ったら「初めて言われた」とモッくん。「でもいつも、ウーマンラッシュアワーの村本に似てると言われる」の言葉に共感しすぎて大笑いした。

モッくんは尼崎のホテルに行ったので、私はおなじみの双葉温泉へ。
1日の疲れがお湯に溶けていく・・・。極寒の中で入る露天風呂は格別だ。

小3くらいの小太りの男の子と金髪でファンキーな雰囲気の50代のおじさんが横で話している。

「あーせん、あんな、日本の飛行機、世界で一番やろ?」
「ちゃうで。」
「なんで?」
「一番はアメリカや。」
「アメリカ?」
「日本には、零戦ゆう世界一の飛行機があったんやけどな・・・アメリカの飛行機の方が強かったんや。」
「そうなん」
「日本は戦争に負けたから何十年も飛行機作れんようになったんや。」
「え。」
「飛行機が作れなくなった川崎重工や日立はどうしたかゆうと、新幹線作ったんや。せやから日本の新幹線は世界一やねん。」
「あーせん、プラモデルは?」
「ん?プラモデル?」
「プラモデルの飛行機もダメなん?作ったらあかんの?」
「プラモデルの飛行機はええやろ。おもちゃやん。おもちゃはええねん。」


「あーせん」とは、このおじさんの名称らしい。日本の新幹線の製造技術が発達した経緯を西宮の温泉で学べるとはなんとも得した気分だ。

風呂上がりにコーヒー牛乳という名の麻薬をキュッと流し込み、数年に一度の大寒波を肌に感じながら、葬儀場に戻った。

しかしホテルみたいに綺麗な葬儀場だ。フカフカの布団で、沖縄の家よりもぐっすり寝た。おばぁちゃんありがとう。

つづく







2017年1月16日月曜日

お葬式3


1月13日
西宮のおばちゃんの「車の鍵がない」というリフレインで目が覚めた。結局本人のカバンの中にあった。

朝食をお願いされたので、なか卯の親子丼を買ってきた。私はこれが大好きだ。

14:30
私のいとこのモッくんが東京から新幹線で来てくれた。最後に会ったのは思い出せないくらい前だ。私の5個上。すぐに気兼ねなく話せるようになった。

通夜の前に、西宮駅近くのドンキホーテ内の100均で黒ネクタイを買い、一階の宮本むなしで腹ごしらえ。
モッくんごちそうしてくれた。ありがとう!美味しかった!

通夜が始まる時間が近づくと、親戚が続々と集まってきた。

初めてお目にかかるおばぁちゃん側の親戚。1人、また1人と入ってくる。その度に「孫の宗孝です。」と挨拶する。

しかし、大変だったのは、親戚のほとんどが高齢の女性で、同じようなサイズ感と雰囲気なのだ。シルエットで当てろといわれたら絶対に不可能だ。
名前も必ず最後に「子」が付く似たような名前なのでややこしい。

キヨ子さん(以下キヨちゃん)とサチ子さん(以下サッちゃん)は姉妹で、おばぁちゃんからみると姪にあたる。キヨ子さんは88歳で出席者の中では最高齢。この人ずっとしゃべってるし、会話の返しも早い。そして面白い。キヨちゃんがこの後、我々を苦しめるとは想像もしていなかった・・・。

18:00
通夜が始まった。

1列目に、喪主の西宮のおばちゃん、モッくん、私。

2列目に、キヨちゃん、サッちゃん他親戚一同。

事前に西宮のおばちゃんがどうしても読経の前に「おかぁちゃんの最後の様子を伝えたい」と言っていたので、全員揃ったタイミングで、おばちゃんが前に出てきた。

涙をボロボロ流しながら、おばちゃんがどれだけ素晴らしい死に際だったかを支離滅裂になりながらも一生懸命話し始めた。

BGMでは、「千の風になって」のピアノバラードが流れている。参列者は真剣な眼差しで西宮のおばちゃんの話を聞いている。


3分くらい経ったところだった。後ろの方から何やらごにょごにょ声が聞こえることに気づいた。キヨちゃんの声だ。

「葬儀屋が言うこと全部ゆうてしもてるやん」「もうそのへんにしとき」「長い長い」

キヨちゃんが淡々とツッコミを入れる。

目の前では、感極まって泣きながら西宮のおばちゃんが話しているのに、キヨちゃんの副音声がすぐ後ろから絶えず聞こえてくる。

私とモッくんにとって「絶対に笑ってはいけない葬式24時」のスタートだ。

延々と続くキヨちゃんのツッコミに気づいた西宮のおばちゃんは一度話を止め「あ、(私の話は)いらない?いりませんか?」と少しキツめにキヨちゃんに問い詰めた。キヨちゃんは「いや〜」とお茶を濁した様子だった。
西宮のおばちゃんは何事もなかったかのように、すぐにまた涙を流しながら話し始め、キヨちゃんのツッコミもすぐ始まる。

6分くらいで終わった。なんとか笑わずに絶えた。

お上人さん(おしょうにんさん)が入ってきて、読経(どきょう)が始まった。松野家は代々日蓮宗で、今津の寺のお上人さんにお世話になっているらしい。

このお上人さんもかなり高齢で、時々お経が途絶えたり、咳き込んだりするので内心、大丈夫なのだろうかと心配になる。

読経の間、参列者は順に焼香をあげる。この間も姉妹は喋り続ける。

「あら、あんたタイツ破けてんで〜」
「え、どこや」
「ほらここや、ここ」
「ほんまや〜」

うつむいて悲しみにふけるフリをして、笑いをこらえた。

30分ほどで読経は終わった。
なんとか乗り切った・・・。

親戚のおばちゃんたちを車で送迎しようと、入り口まで車をまわして待機していると、外でもめている。

親戚のおばちゃんたちは遠慮してタクシーで帰ると言い、西宮のおばちゃんは車で送迎すると言い、押し問答になっている。

しまいには、西宮のおばちゃんがマジギレして「もう!!ゆうこときいて〜!ほんまに!!私のゆうこときいて!!」といい、管を巻くおばちゃんたちの腕を強く掴んで強引に車に押し込んだ。

なぜここでそんなにあらぶるのか。
その様子を見て、私とモッくんはゲラゲラ笑ってしまった。

デデーッ!!
松野ーモッくんーOUTー!!


つづく